船木電気工業株式会社
もっとも安心できる先に譲渡できて「嬉しい」-従業員も納得
譲渡企業 | 譲受企業 |
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船木電気工業㈱ | ㈱阪急阪神電気システム |
兵庫県 | 大阪府 |
電気工事業 | 電気工事業 |
スキーム 会社分割+株式譲渡 |
電力会社の送電線や電鉄会社の電車線などの電気工事を手掛ける船木電気工業(現・HK電気工業)の三代目、船木靖夫さん(60歳)はこのほど、M&Aによる会社売却に踏み切りました。売却先は、阪急阪神ホールディングスの孫会社(阪急電鉄の子会社)で、主にグループの電車線の電気工事を行う阪急阪神電気システムです。
船木さんはインタビューで、会社売却の理由として、①後継者不在、②将来的な健康不安、③人材不足の三つを挙げた上で、「気心の知れた阪急に譲渡できて嬉しい」と満面の笑みを浮かべました。また「従業員も、阪急阪神東宝グループの一員になることができたということで、納得して、喜んでくれていると思います」とも話しました。
阪急阪神東宝グループは、阪急阪神ホールディングス、エイチ・ツー・オー リテイリング、東宝を中心に構成される企業グループです。グループ会社数は202社5団体、グループ従業員数は3万5627人、グループ売上高は1兆9227億円に上ります。
「継ぎたかったわけではない。」-自身が承継した経緯
船木電気工業の強みをご紹介いただけますか。
先代の時から、電気工事を売りにしていましたが、電気工事にもいろいろな種類があります。送電線の鉄塔を建てる電気工事(送電)、電車を走らせるための電気工事(電車線)、建物のための電気工事(内線)などがあります。
私どもの会社は、送電工事、電車線工事、内線工事の三つを掛け持ちでやっています。相乗効果があり、売り上げをカバーしあっているのが強みです。職人、技術者の集まりなので、臨機応変に人を回せるようになっているのが強みです。
ご自身が船木電気工業の社長を後継するに至った経緯についてお聞かせいただけますか。
当初、継ぎたくなかったのです。中学生ぐらいの時から、三代目にならなければいけないと周りの人から言われたりしました。自宅兼会社という状況だったのですが、もっとスマートな会社でサラリーマンになりたいと思っていました。
「継ぎたくない」という思いがずっとありまして、継ぐのが嫌なために、中学3年生から大学1年生まで、3年半ぐらい家出しました(笑)。友達の家にいたのです。母親に対抗するという形でやったのですが、母親も頑固で、一回も迎えにきませんでした(笑)。
大学の法学部に入って、だんだん就職を考えるべき時期が近付いたことから、やはり私も少しは大人になりました。親一人、子一人なので、周りからも「女性経営者のお母さんが20年、30年やっている会社を息子が継がないというのはないでしょう」という感じがひしひしと伝わってきました。
そこで電気の夜間学校に通って、電気工事士の資格などを取得しました。そして、3年ほどほかの会社で修行するために東京に本社がある電気会社に就職しました。せっかくであれば東京で生活してみたいという思いがあったためです。ただ、大阪勤務になってしまい東京での生活はできませんでした(笑)。
そして船木電気工業に入りました。25歳のころです。
「経営センスや技術面などハードル高い」-後継者不在で
なぜ会社売却を検討したのですか。
三つの理由があります。
一つ目は、娘しかおらず、「技術的なことまでしなければならない仕事を娘には継がせられない」「娘にいずれ見合いでもさせて、跡取りに譲ったらいい」と思っていたのですが、実際には、経営センスもあって、電気工事の技術的なことまでも対応できる人材と娘が見合いをして、かつ娘が気に入るとなると、なかなかハードルが高いと思ったからです。それが一つの理由です。
二つ目は、私が10年ほど前に体を壊したためです。落馬して腰椎骨折で半年ぐらいベッドに寝ていました。最近は大丈夫ですが、そういうことがあったりして、いつ何がおこるかわからないということも理由になりました。
三つ目は、人手不足です。電車線の仕事は夜勤になってしまいます。なかなか人が集まらなくて、入社してくれたとしてもきつくてすぐ辞めていくということもあり、いろいろ作戦を練ってやってみたのですが、うまく採用ができません。仕事量はふんだんにあるので、ネームバリューのある大きな会社の中に入れば、ある程度の人を確保できるという意味で、検討を始めたのです。
事業承継の検討を開始したのはいつ頃ですか。
5年ぐらい前から、本や雑誌を読んでいました。M&Aに関する本を10冊以上買いました。雑誌も読んでいました。新聞などで、黒字でも廃業しなければならない会社があったり、社長の年齢が70歳代であったりとかいろいろな情報がありましたので、検討を始めました。
親身な対応受けて依頼決断-経験が物を言うプロの担当者
インテグループとはどのように出会ったのですか。
東京で開かれた事業承継・M&Aセミナー(日本経済新聞主催、インテグループなど協賛)に行きました。真剣に考えなければいけないと思い、この時に初めて動きました。その後、インテグループに問い合わせをしました。同じ頃、金融機関や他のM&A仲介会社にも問い合わせをして、会社の価値を評価してもらったりしながらどうしたものかと悩んでいましたね。
なぜインテグループに仲介を依頼したのですか。
担当してくださった廣瀬さんが本当に親身に考えてくださったからです。私はM&A仲介業務についてわかっていなかったので、担当者の経験が物をいうと思います。廣瀬さんは足しげく東京から来て、細かいことまでやってくださいました。経験のあるプロに対応してもらって良かったと思います。一生懸命やっていただき、そして、うまくいきました。
廣瀬さんは東京の人なので、会って相談できる機会が少ないのではないかと心配していたところもありましたが、30回ぐらいこちらの会社、弁護士事務所や阪急本社に来てくださったと思います。電話でもよく話をしていたので、相談しにくいということはなかったです。
阪急阪神ホールディングスにのみにお声掛けした理由と譲渡先である阪急阪神ホールディングスの孫会社(阪急電鉄の子会社)、阪急阪神電気システムについてお聞かせいただけますか。
私どもは阪急阪神ホールディングスのみにお声掛けをお願いしていました。1969年に阪急阪神電気システムと取引を開始して以来、阪急の仕事を長くしてきました。当初、インテグループは50社以上の候補企業を提案してくれました。その中に、阪急阪神ホールディングスが入っていました。関西以外の方にはわかりにくいところがあるかもしれませんが、関西には阪急を好きな人が非常に多いんです。阪急がお相手ならば、従業員や先代社長である母も納得してくれるのではないかと思いました。譲渡の金額のみを考えれば色々な会社に声を掛け、幅広く提案を頂いた方が良かったのでしょうが、従業員、取引先、母にとっても良い選択となるよう、あえて阪急阪神ホールディングスのみにお声掛けをしていただきました。
阪急阪神ホールディングスも、長年の取引先である私どもが後継者に困っているのであればと粘り強く検討してくれました。結果的に譲受企業は、やはり阪急阪神電気システムになりましたね。
阪急阪神電気システムは、私どもの電車線課の主要な取引先の一つで、阪急、阪神の電車線の工事を行う会社です。私どもは阪急のお仕事を阪急阪神電気システムを通じて行っていたという関係です。従業員同士も同じ現場で仲良くしているように感じています。
内線課、送電課、電車線課を維持-売却先が全従業員に説明
譲れなかった条件はありましたか。
取引先に迷惑をかけないよう、送電課、電車線課、内線課の3課体制を維持して頂くこと、従業員の雇用を維持して頂くことの2点は強くお願いしました。阪急阪神電気システムの社長、阪急のご担当者がご尽力してくださり希望がとおりました。
従業員の方に、いつ、どのように説明しましたか。
当初は、最終契約が終わってから説明しようと思っていました。慎重にやらなければならないと思っていましたが、総務、経理の事務の者に書類を用意してもらったりしているうちに、だんだん勘づかれてしまいました。このため、少し早まりました。
従業員は送電課、電車線課、内線課の違いで仕事内容や就業時間が違うので、全員集めて説明できず、少人数を集めて説明しました。なかには、「長く社長とやってきたので寂しい」と声をかけてくれる従業員もいました。
阪急も、阪急阪神電気システムの社長自らが、従業員全員と個別面談で説明してくださいました。「内線課、送電課、電車線課を続けて、大きくしていきたい。待遇は変わらないので、決して悪いことはありません」と丁寧に説明してくれました。
個別面談の実施の時は同席していたのですが、職人肌の従業員が阪急阪神電気システムの社長と適切に話ができるのか少し不安でした。ただ、従業員が質問に堂々と回答している姿を目にし、驚きとともに嬉しい思いになりました。
最終契約の締結後、クロージングまでの間、私も従業員も準備に追われ、忙しい日々でしたが、従業員が阪急グループになる準備に前向きに取り組んでくれていたのはとても嬉しかったです。
M&Aに興味津々-多くの中小企業経営者たち
売却を終えて、どのようなお気持ちですか。また周囲の反応はどうですか。
2018年7月に設立60周年、創業90周年パーティーの時に、従業員向けの挨拶で、「設立70周年、創業100周年に向けて頑張っていこう」と挨拶をしましたが、挨拶をしながらも「創業100周年の時にはきっと私は社長ではないだろう」と思っていました。
父が創業し、母が大切にしていた船木電気工業は船木家の手を離れてしまいましたが、阪急阪神東宝グループの一員として設立70周年、創業100周年と会社が存続してくれることを期待しています。従業員も「阪急阪神東宝グループの一員になることができた」ということで、従業員の家族を含め喜んでくれていると思います。
同業者とお付き合いもあり、青年会議所、ロータリーなどで活動していますが、同じぐらいの規模の中小企業の知り合いがたくさんいて、同じような悩みを持っている人が大半です。子供に譲れる会社は割と少ないのです。そのうちの何人かの方から、すぐに電話をもらって、「よかったですね」「どんな感じで譲渡したのか」というように、興味津々に聞かれました。「大変でしたね」という手紙などもいただいています。
私は60歳ですが、「まだ(事業承継は)早い」とか、「なかなか決断できない」というような同業者とか中小企業があります。私の場合も、売却に至るまで時間がかかりましたので、彼らにとっても、「気づき」があったのではないでしょうか。
ロータリークラブなどで体験談としてご紹介できるのでは。
はい。インテグループを宣伝できますね(笑)。
会社売却までの間、不安はありましたか。
「何カ月で決まる」と書いている本もありましたが、「どれぐらいかかるものなのかな」ということで、M&Aは精神的にあまりよくないですね。ちょっと不安でした。
一時期、阪急阪神電気システムではなくて、グループの別会社からも話があったので、ちょっと時間がかかりました。
実は、M&Aを検討していることを先代社長である母には秘密にしていました。M&Aがかなり具体的になってから話そうと思っていましたが、具体的になってきてからも、なかなか母には切り出すことができませんでした。ただ、面と向かって話をしてみると、「阪急さんなら安心」と喜んでくれました。
あとは、新型コロナウイルス感染症の蔓延ははらはらしました。基本合意に向けたやりとりをしている頃だったと思います。阪急にも大きな影響が出ていると発表がありました。もしかすると、「本件がなくなってしまうのでは」と何度となく不安になりましたが、阪急阪神電気システムの社長、阪急のご担当者もグループ内を調整してくださり、基本合意に至ることができました。
私どもでは電気工事業の他に、グループホーム施設を所有し、グループホーム運営会社に土地建物を賃貸していました。不動産賃貸業は、今後の船木家の事業として残したいという希望があったので、電気工事業の会社と不動産賃貸業の会社に分割する必要がありました。会社分割という手続きもしたことがありませんでしたので、期限どおりに行うことができるのか心配でしたね。弁護士、税理士、司法書士にもお世話になりました。
同じ頃、デューデリジェンスという弁護士や会計士からの監査を受けることになるのですが、要望される大量の資料に対し、どんな資料を用意していいか良く分からず困っていましたが、廣瀬さんがきてくれて、一緒に書類を探し、コピーをして対応してくれました。
相手方に伝えていることがどんな影響をもたらすのかわからない時は不安でしたが、その後で、廣瀬さんが説明してくれたので、M&Aにどんな影響が出るのか想定しながら進められたのは良かったと思います。
それでも、最後の最後まではらはらしました。最終契約の締結が2020年12月半ば、クロージングが2021年1月後半というスケジュールとなっていましたが、年末年始に新型コロナウイルス感染症が再度流行し、このままクロージングを迎えることができるのかどうか不安でした。
ご自身の今後のプランは何かありますか。
この1年ぐらいは、売却のクロージングのことで頭がいっぱいで、その先のことはあまり考えられないというか、考えたくないと思っていました。
現在、「船木エステート株式会社」として、グループホームの賃貸業を営んでおり、賃貸による収入があります。かといって、仕事もせずにぶらぶらしているわけにもいかないので、検討中です。
コロナ禍の前、妻と暑い時や寒い時に、何カ月か海外でロングステイをしていました。妻が東南アジア好きなので、「一緒に周ろうか」と話しています(笑)。