あたかフーヅ有限会社
京都の老舗中華料理店3代目の決断「このまま頑張り続けたら店をたたむことになる」
譲渡企業 | 譲受企業 |
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あたかフーヅ㈲ | ㈱テイクオーバー |
京都府 | 静岡県 |
飲食 | ペット、飲食等 |
スキーム 会社分割・株式譲渡 |
京都駅から車で10分ほど、地元で長年愛されてきた老舗中華料理店「あたか飯店京都店」を運営するあたかフーヅ有限会社(本店・滋賀県大津市)は、2024年8月に全株式をペット事業や飲食事業を中心に事業再生・事業継承サポートを手掛ける株式会社テイクオーバー(静岡県焼津市)に譲渡しました。代表の西澤洋平社長(57歳)は、父親から引き継ぎ、自身も愛情を持って育んできた事業を今回なぜ譲渡する決心をしたのか、その経緯と心境を伺いました。
収容最大270人「箱の大きさ」が強み
今回の譲渡対象となった「あたか飯店」の創業の経緯を教えてください。
もともとは、祖母が滋賀県大津市で小さな洋食屋 をやっていたのが始まりです。祖母は石川県安宅(あたか)の出身なので、「あたか飯店」という名前にしたようです。父親の代になってから中華料理に業態を変えて、店も大きくしました。私が継いでからは、ほとんど形を変えていません。
「あたか飯店」の強みはどこにありますか?
やっぱり箱の大きさですね。3階建てで最大270人が収容できて、ワンフロアでも最大約100人が入れます。マイクロバスでの送迎も行っています。
歴史が長いので、お客様がついていることも強みです。いらっしゃるのはご近所の方がほとんどで、日常使いをしていただいています。団体で来られるお客様も常連さんばかり。参加者が何十人という集まりになると、なかなか場所がありませんよね。
あたか飯店は、ホテルの宴会場と比べると手ごろな値段で使っていただけるので、忘年会や新年会、送別会などの宴会が4割ぐらいを占めています。人気のメニューはエビチリや焼き飯。私がいちばん好きなのは酢豚です。
きっかけはコロナ禍
そんな家業である事業を譲渡しようと思った理由を教えてください。
きっかけはコロナ禍です。私には兄が2人いて、それぞれ飲食店を経営していました。コロナ禍はなんとか乗り越えられたのですが、仕入れ価格や人件費の高騰もあって、そのあとに1人は店を譲渡、もう1人は店をたたみました。私も将来のことを考えると不安な点がありましたし、私の子どもは継がないこともわかっていたので、そろそろ引き際かな……と思ったのです。
譲渡するにあたって、どのような不安がありましたか?
不安というよりも、寂しいのと「いいのかな」という気持ちが入り混じっている感じでした。でも、私も長年の疲れがありましたし、飲食業を経営していると様々な問題が出てくるので、個人の力では資金力に限界があるのかな、という思いはありました。コロナ禍ほどではなくても、次に何かがあったときに耐えられるのかな、という気持ちが強かったです。
事業を大きくしたお父さまへの思いはありましたか?
父親から店を引き継いだのは2003年でしたが、そのときに「お前らの代で終わりや」と言われていました。ただ、私自身は「自分の代で終わりにしよう」との思いも、「絶対に続けよう」との思いもありませんでした。
だから、父の意向は気になりませんでしたが、まだ若い従業員もいるので、やっぱりお店は残したかった。自分がもう少し頑張り続けたら、事業承継もできずに店をたたむことになると思い、それは避けたかったのです。
兄たちが経営していた店舗は規模がもっと大きく、コロナ禍によるダメージがこの店よりも大きかった。そのため、兄2人が譲渡に向けて先に動いていた感じですね。私も、コロナ禍が少し落ち着いた直後に動き始めました。
従業員には譲渡することをいつ伝えたのですか?
隠れて動いているのもよくないかなと思ったので、サービス部門と調理場の責任者には譲渡に向けて動いていることを伝えました。兄の店舗が先に譲渡していたので、なんとなく「そうなるのかな」ということは感じていたようです。ただ、最初は嫌がっていました。30年以上働いてくれている人もいて、勤務期間が長い人ばかり。環境が変わることへの不安があったのでしょう。
今回譲渡先を探してもらうにあたって、「飲食店を運営している企業」をお願いしました。そして、中華料理の業態を続けてほしいことや、従業員が働き続けられるように、ということも売却条件にしました。
実際に譲渡が決まって従業員に伝えると、意外に大丈夫、という感じの反応でした。今日は約2週間ぶりに店に来たのですが、みんな普通でした。けっこう緊張しながら来たのですが、お店もぜんぜん変わっていないのでホッとしました。
長年のお客さんたちにも譲渡のことを伝えたのですか?
いえ、ほとんど伝えていないです。私はそもそも、人と喋るのがあまり得意ではないのです。だから、私が社長だったいうことさえ知らないお客様がたくさんいらっしゃいます。
常連さんからも「いつになったら店長になるねん」ってよく言われていたので、 「あの店員、店長になれないからやめたんやな」と思われているかもしれません(笑)。
まとまらなかった過去の苦い経験
譲渡にあたって、なぜインテグループを選んだのですか?
インテグループさんにお願いする前に、実は他の仲介会社にも相談をしていました。興味を持ってくださった企業はかなりあったのですが、なかなか話がまとまらない。このままでは、決まる話も流れていくのではないだろうか……と焦りも少しありました。
また、兄たちの店も含めて3店まとめて譲渡するというお話もありました。3〜4カ月かけて話を進めたのですが、最後に店を見にきて「やっぱりやめておきます」となってしまった。
それなら、最初に見に来てほしかったな、とがっくりきてしまいました。私たちも不慣れなのでわからないことばかり。「これだけ喋ってやり取りしたのに結局、流れるのか」と疲れてしまった。
それで、インターネットで探しあてたインテグループさんに相談しました。それまでの経緯があったので疲れ果てていましたが、他社と比べてスピードが圧倒的に速くて、いい意味でギャップが大きかった。担当してくれた荒井さんは理解力のある方で、私が言ったことを解釈するのがすごく上手。だから、任せておいたら大丈夫なのだろうな、と思いました。
譲渡先のテイクオーバーと最初にお会いしてから3カ月程で合意。すごいな、と思いました。東京との距離も全く感じなくて、電話でのコミュニケーションも圧倒的に多かった。これからも、何かあったら荒井さんに電話で相談したいぐらいです(笑)。
実際の譲渡までの経緯を教えてください。
2023年10月末にインテグループさんと初回の打ち合わせをして、買い手候補への打診開始が翌年1月。株式譲渡の契約は5月でした。
テイクオーバーの山崎代表がすごいスピード感で進めてくださった。今は担当の方が事務の引き継ぎなどをしてくれています。引き継ぎだけでもかなり大変だと思いますが、それをやりながら従業員ともコミュニケーションを取ってくれているようです。こんなに短い期間でできるのかなと思っていましたが、本当に一生懸命やってくれています。
譲渡を終えたいま、どんなお気持ちですか?
やっぱり寂しいなという感じはありますが、肩の荷が下りたかなという気持ちもあります。
父から2003年に店を継いで以来、本当に忙しかった。あまり記憶がないぐらい必死でやってきた感じです。土日も仕事が休みじゃないので、子どもたちともぜんぜん遊んであげられなかった。私が子どものころもそうで、家族の集まりがかなり少ない家族だったと思います。
店が残ったことで、私はこれからも慣れ親しんだ料理を食べに行けるのが嬉しい。私にとって、この店の味は「家庭の味」だし、この店の味が好きなんです。
今は生活がガラッと変わりました。兄たちがお店の経営から離れてから、ちょうど1年遅れぐらいで私も譲渡できた。店をやっていたときは、みんな正月はいちばん忙しいときなので集まったことがなかったのですが、来年は集まれるかもしれないです。
同じように事業承継をするかどうかで悩んでいる経営者へのアドバイスをお願いします。
今回、会社を譲渡するかで悩んでいたときに、若い社長さんたちと話したのですが、そのとき「時代が違うな」と感じました。私と同世代の人は、たとえば長く会社を経営していて、ネームバリューがある程度あれば、「このまま続けたらいい」と考えてしまいがちです。でも、若い社長さんは将来を見据えている。だから、若い人に引き継いでもらったらいいのではないかと思います。