株式会社光洋自動車
車検からレッカーまでこなす自動車整備工場がディーラー企業グループの目に留まった理由
譲渡企業 | 譲受企業 |
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㈱光洋自動車 | GLIONグループ |
奈良県 | 兵庫県 |
自動車整備 | 自動車ディーラー |
スキーム 株式譲渡 |
奈良県大和郡山市で民間車検工場を営む株式会社光洋自動車(以下、光洋自動車)は、2023年10月に自動車ディーラーを主業とするGLIONグループ(本社・兵庫県神戸市、以下、GLIONグループ)に株式を譲渡しました。代表取締役の志野隆男さん(66歳)が、負債を抱えていた光洋自動車を引き継いだのは54歳のとき。それから10年余り、負債の解消の目途がついたタイミングでの決断。どのような理由でM&Aを決断したのか、会社を引き継いだ経緯や現在の心境をお伺いしました。
レッカーロードサービスが強み
光洋自動車の事業内容を教えてください。
いわゆる民間車検工場です。大和郡山市内で2万台以上の車検実績があります。このほか自動車修理、中古車販売、レンタカー、損害保険代理店業務を担っています。得意分野は、レッカーを事故現場に持っていって車を搬送することで、燃えた車、落ちた車、水没した車、どんな状態でも搬送可能です。
創業はいつごろだったのですか?
1959年3月です。私自身は、創業にはかかわっていません。この地域の人が創業されて、その息子さんが跡を継いでいました。私はレッカー業者としてかかわっており、十数年前、「会社がちょっと具合悪いぞ」というのがわかり、私は社長に「最大限協力するよ」と話をしていました。社長本人は廃業するつもりでいたので、「そんなのもったいない」と思い、「あとは私が引き継ぎます」と言って3代目社長になりました。2009年10月のことでした。
会社を引き継いだとき、どのような状況でしたか?
2代目社長は私に会社を譲り渡すことについて、いろいろな知り合いに相談したところ、ほぼ賛成してくれたそうです。当時の会計事務所は反対しましたが、私にとってもまだ、いまよりも元気がよかったので、勝算もありました。この会社は当時、多額の負債を抱え返済の目途も立っていなかったですが、素晴らしいお客さんに恵まれていることもあり、なんとかいけると踏んでいたのです。
光洋自動車の事業の強みは何ですか?
レッカーロードサービスができるということです。自動車整備業といっても、実はレッカー技術や装備を持っていない会社がほとんどです。その点、うちは動かない車、潰れた車、落ちた車、すべて対応ができるのです。
私は大手の寝具会社で営業のノウハウを覚え、京都府北部の森林組合で山仕事に従事し、運送業などを経験した後の2000年ごろ、警察からの依頼を受ける事故車両のレッカー業務に携わりました。そこで培った経験を生かしたのです。
さらに、輸入車をウェルカムで受け入れる業者が少ないなかで、光洋自動車はすべての輸入車に対応ができるという点が強みでした。「困ったときの光洋自動車」と言われていましたね。
体力の限界を自覚するようになって…
光洋自動車は2023年10月30日に、自動車ディーラー業などを全国展開するGLIONグループへ100%の株式を譲渡しました。決断の理由を聞かせてください。
決断までに3年かかりました。本来は自然な形で子どもに引き継ぐというのが、いちばんいいのかなと思っていましたが、なかなか状況が許してくれませんでした。子どもは上から娘、息子、娘といて、娘2人は事務を手伝ってくれていますが、彼女らの負担を考えたら社長になるには荷が重い。それで息子に引き継いでもらおうと思っていましたが、本人は30歳前。息子も悩んだのでしょう。結局、ほかの会社に就職しました。
レッカー作業はかなりハードな仕事で、自分の時間はほぼありません。昼間は工場の仕事をして、夜は警察からレッカーの出動要請があるとなると、落ち着けるタイミングというのはほぼないんです。24時間眠たいんですね。4日間で睡眠12時間ということもありました。そういう仕事状況のなかで、息子に対するフォローができていなかった。それに誰も負債のある会社の責任者になろうとは思いませんよね。結局、適正な後継者が見つかりませんでした。
私のほうは、年を取って自分の体そのものがそろそろ限界じゃないかと自覚するようになりました。これは早く引退するべきだと思っていたのです。
それでM&Aに行き着いたということですか?
そうです。ところが、「あんたが引退するんやったら、僕はもう来んわ」というお客さんが多いんです。顧客の3分の1ぐらいが、「よそへ行く」と言うんです。私も、お客さんにいきなり「さよなら」というのも、ちょっと具合が悪いし、そういうことがないようにM&A後も2年間は会社に残るという条件を受け入れてもらいました。
今回、なぜインテグループを選んだのですか?
5社仲介業者さんと話をさせてもらいました。そのなかでインテグループの橋山滉也さんが、人当たりが良くて、丁寧に対応してくれたのです。細かいところまで先読みしていただいて、話しているうちに惹き込まれましたね。
M&Aの打診から譲渡までの期間に不安なことはありましたか?
実際に会社を買ってもらえるのかどうか、いちばん気になりましたね。従業員や、お客さん、仕入れ先に、違う形のメッセージが流れるのは困るなと心配していました。
違う形というと?
M&Aでは、実際に買い取った会社が従業員を全員クビにしてしまうということもあると聞いていました。そんな噂が広まっては困ります。生活がかかっている従業員への待遇が大前提で、強くお願いしていました。今回、6人の従業員が丸々雇ってもらえて、給料も絶対下がらない。そこがうまくいったことがよかったですね。
譲渡について、従業員にはどんな話をしましたか?
従業員に伝えたのは譲渡の翌日の10月31日でした。もう、めっちゃ苦しかったです。会社の現状について、次のようなことを言いました。
「私が引き継いだときの借金を返す予定はほぼついたのですが、いま、借金をぜんぶ返せたところで工場の設備がかなり老朽化しています。この建物だって、いつ雨漏りしてもおかしくない状況です。事務所の建て替えや運転資金などのことを考えたとき、売却せざるをえないという判断にいたりました。それで今回、インテグループさんの仲介で納得のできる売却先が見つかりました。売却できたのは皆さんが頑張って仕事をしてくれたおかげです」
守秘義務があって、みんなに話ができず、心苦しかったけれども、やっとこの話ができて「ほっ」としました。そして「従業員とお客さんと仕入れ先は守る」という条件で売却したことを伝えました。従業員には、淡々と受け入れてもらえたと思います。
レッカーとロードサービス部門の先陣に立ちたい
実際に譲渡してみて、満足していますか?
もちろん、100%自分の思いを引き継ぐのは無理だと思いました。完璧じゃないけれど、石橋を叩いて壊しても仕方がありません。8割の満足で納得し、最低限お願いしていることさえ守ってもらったらと思っています。最低限というのは、従業員の雇用や給与の問題や、お客さんや仕入れ先のことです。
この段階で譲渡したことについて、「よかったやん。これからは会社経営者として心配せんと、仕事ができるやないか」と言われます。確かに、運転資金の悩みというのは、社長としてすごいストレスでした。会社の経営はなかなか難しいと思います。いまは正直、ホッとしています。
GLIONグループに期待していることは何でしょうか?
私が培ったレッカーとロードサービス部門をつくることを視野に入れていると聞きました。GLIONさんのグループの9割が「車屋さん」です。それを進めるなら、協力していきたいと思います。
ロードサービスとは、トラブルが起きたときの対応です。エンジンがかからないとか、車から煙が出ているとか、どこかに落ちたとか、脱輪したとか。そういうときに工作車や作業車を持っていって、車を引き上げ、工場へ運ぶというノウハウは、ふつうの車屋さんは持っていません。GLIONさんからは、レッカーとロードサービス部門ができたら、先陣に立ってほしいという話もあったので、その気持ちも持っています。
レッカー出動というのは、時と場所を選んでくれません。光洋自動車では1日に多いときで2、3回出動していました。平均すると1日1回ぐらい。日中なら従業員が走りますが、深夜帯や土曜、日曜となると、私しかいません。そんな仕事状況では、お酒も週に1回しか飲めませんでした。実際、JAF(日本自動車連盟)ができないこともやってきました。GLIONさんでJAFを超えるサービス部門が作れるなら、私の培ったノウハウを役立てたいなと思っています。
最後に会社の売却を検討している人たちへの、メッセージをお願いします。
先入観にとらわれず、いろいろな人から話を聞くことです。決断は後でもできますから、信頼できる先輩や同業者の話に耳を傾けることから始めたらと思います。