株式会社ヤエガシ
倒産寸前の会社を再建して売却に成功 「夢みたいな話」と語るM&Aストーリー
譲渡企業 | 譲受企業 |
---|---|
㈱ヤエガシ | AJキャピタル㈱ |
秋田県 | 東京都 |
自動車整備 | 投資ファンド |
スキーム 株式譲渡 |
青森県で自動車整備業の上野自動車株式会社を経営する上野久明氏(69歳)が、倒産寸前だった同業のヤエガシ(本社・秋田県秋田市)を買収したのが2008年。そこから15年間で優良企業に再建し、2023年5月にヤエガシを投資ファンドのAJキャピタルに株式譲渡しました。上野氏がヤエガシを買収した経緯から、今回のM&Aに踏み切った理由まで、その決断の背景を伺いました。
赤字企業を生まれ変わらせるまで
ヤエガシという会社について教えてください。
ヤエガシは自動車整備の会社で、幅広い車両の自動車車検サービスや新車・中古車の販売、レンタカー取扱、損害保険代理事業等を展開しています。
前身となる株式会社八重樫は、自動車整備業では秋田県で一番の会社で、最盛期は従業員が30名もいる素晴らしい企業でした。八郎潟の干拓工事(1957~1977年)のときには、陸運局からの依頼で、アメリカから送られてきたフォードのトラクターのパーツをすべて組み立てるような仕事もしていましたね。
ただ、時代の流れについていけなかったのでしょう。黙っていても車が増えていく高度成長の時代が終わって、経営が傾いていきました。そこで旧八重樫の社長の息子が私のところに相談に来た。それが、いまから15年前の2008年のことでした。
そして上野さんが、社名をカタカナのヤエガシとして社長に就任したのですね。
そうです。私は同じ自動車整備業の上野自動車株式会社を1978年に義父から受け継ぎ、青森県の野辺地町で妻と経営してきました。
旧八重樫の社長の息子とは、お互いに車検フランチャイズであるコバックの加盟店であった縁から顔なじみでした。何度か上野自動車の財務内容を話したことがあったので、相談にきたのだと思います。
相談を受けたときは借入金の利息も払えない状況でしたが、そこから私が経営を立て直していくことになりました。
上野自動車を経営しながらですから、ヤエガシには常駐せずに経営を再建していったのですか?
おっしゃる通りです。最初は週に1回のペースで営業成績などの報告をさせて、数字を把握し、秋田県にも頻繁に通いながら、ヤエガシの経営を改善していきました。
倒産寸前の会社を再建するために、具体的にはどのようなことをしたのですか?
経営の基本は「入ってくるお金よりも、出て行くお金を少なくすること」です。まずは、出て行くお金をしっかりと見直しさせました。新聞を何部も取っていたら1部に抑えたり、社員が会社の経費で余計なお金を使わないようにしたり、本当に少しずつ地道なことから。リストラは一切しませんでしたが、人件費以外にはほとんど手を加えました。
また、売り上げについては、足でお客さまを獲得する大切さを従業員に説きました。自動車整備業の経営の要点は営業力です。お客さまを1軒1軒歩いて回って、自分を信頼していただく。信頼を得れば、車検だけでなく車を購入する際にも頼っていただくことができます。
このように、私が上野自動車の数十年間の経営で培った心得を伝えました。
経営状態はすぐに改善したのでしょうか。
相談を受けたときはほぼ倒産状態でしたが、そこから経営は徐々に上向きだして、1年目から社員にボーナスを払うことができました。いまでは安定して利益を出す健全な会社に、すっかり生まれ変わっています。
いま、ヤエガシに行くと、社員たちの顔つきがまるで変わったことを感じるんですね。倒産状態のころはすごく暗かった顔つきが明るくなり、事務所もキレイになって、また昔のように素晴らしい整備工場になった。そういう変化を目の当たりにすると、本当に嬉しくなります。
今回の企業譲渡の理由
今回企業譲渡を行った理由についても教えてください。V字回復を果たした会社を譲渡することに抵抗はありませんでしたか?
それは、ためらいがないわけはないんですよ。あれだけ良くした会社で、愛着がありますから。
しかし、私も69歳になり、体の具合を考えてもこれから秋田県まで行くことがどんどん難しくなりそうでした。また、ヤエガシと上野自動車を含め計5社を経営していますので、このあたりで少しずつ整理をしていかねばならないと思いました。数年前に兄が急逝したのも、そういうことを考えるきっかけになりましたね。
また、ヤエガシでは3年前から八重樫家の人間を共同代表に加えていましたが、八重樫家に聞いても後継者はいない。私の体の具合と、後継者がいないという点から、譲渡できる先を探し始めたのが今回の企業譲渡の経緯です。
そして、ファンドのAJキャピタルに企業譲渡しました。売却相手にAJキャピタルを選んだ理由についても教えてください。
なぜ選んだかと言うと、一番は人柄です。ファンドと聞くと、「利益」が前面に出てくるイメージがありましたが、AJキャピタル様はそうしたイメージとまったく違った。お会いしてお話してみると、事業に真剣に取り組む誠実な会社だとすぐにわかりました。また、面談の度に社長や副社長、執行役員の皆さんが総出で秋田や青森まで来てくださったのも、誠実さを感じる要因でした。
譲渡後のいま、「ヤエガシを今後こういう会社にしてほしい」という希望はありますか?
あまり無理な計画はせずに、ヤエガシのペースを守ってほしいと思っています。ヤエガシは15年間で、毎月しっかりと利益をあげる会社に生まれ変わりました。これから黙って見守っていても、従業員たちは引き続き自分たちで努力をしていくでしょう。
逆にあまり無理な目標を立てると、目標を達成するために無茶をして、いまの形が壊れてしまうリスクもありますので、急に何かを変えることはしないほうがいいと考えています。私も来年の8月まで会長職としてヤエガシに残りますので、その点は取締役会でも伝えていこうと思います。
従業員には企業譲渡のことを伝えましたか?また、反応はどうでしたか?
企業譲渡が成立してすぐに、従業員全員を集めてオーナーが変わることを伝えました。私は普段ヤエガシに常駐しておらず、限られた従業員としかやり取りがありませんから、ほとんどの従業員からすれば、今までと何も変わりがありません。社長も引き続き、八重樫家がやっていきますから、企業譲渡で特に不安を感じることはなかったと思います。
譲渡が完了し、現在の率直な心境を教えてください。
5つも会社を経営していますので、1つの会社を譲渡したからといって肩の荷が下りたとは思いません。ただ、“1つの片をつけることができた”とは思います。
15年前に、八重樫家の人たちが私を頼ってやって来ました。その会社を再建して、一度は売り払った土地や建物もすべて買い戻して、立派な企業にしてから今度はいいお相手に譲渡することができたのです。もう一度やれと言われても、なかなかできるものではないでしょう。本当に満足していますし、私からすれば夢みたいな話だと思っています。
欲をかいて、いい相手との話がなくなるのは本末転倒
今回、M&Aの仲介会社はどのように選んだのでしょうか?
最初は、送られてきた手紙を見て連絡しました。インテグループさんは、初回の面談からわざわざ青森まで足を運んで、相談に乗ってくれました。その後も何度も何度も青森まで来られるので、私も東京からの旅費などを計算して、心配させられましたね。「これはM&Aを成功させないと、担当の吉村さんの給料が出ないのではないか」と思いました(笑)。
ご心配をおかけしました(笑)。その担当の吉村の対応はどうでしたか?
過去に別の仲介会社と話をしたことがありますが、正直に言うとイメージの悪い会社もありました。聞こえのいい話はするけど具体的な提案がなかったり、報酬が高かったり。でも、吉村さんはコミュニケーションがしつこくないし、非常に対応もよくて、信頼できました。経営者の仲間に紹介したい気持ちです。
それでは最後に、売却を検討している経営者に向けて、メッセージをお願いします。
会社を売る場合、従業員たちの雇用をしっかりと守ってくれる会社に売ることが大切だと思います。その条件を満たしているのならば、オーナーたるや自分が儲けようという欲を出さずに譲渡することが大切でしょう。欲をかいて、いいお相手とのお話がなくなると本末転倒ですからね。
また、お相手は「人として信頼できるか」という観点が一番大切なことだと改めて認識いたしました。